歴史ロマンの厳島神社(宮島) 西暦593年〜1200年
593年 社殿創建
赤い帆の船に乗ってきた市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を佐伯鞍職(クラモト)が、現在地に鎮座した。
古事記・日本書紀には市杵島姫命・田心姫命(タゴリ)・湍津姫命(タギツ)とも天照大神の子供で海上交通の神として信仰。広島県佐伯郡宮島町が前の住所で佐伯の名前はつい最近まで使われていました。
806年 弘法大師空海 厳島弥山を開基
811年 日本後記(平安時代初期の勅撰史書)記載 伊都岐島神(厳島神社)イツキシマ、速谷神ハヤタニ
927年 延喜式神名帳で名神大と記載(伊都伎島神社、速谷神社、多家神社)
1146年 2月 平清盛が安芸守に補佐
9月 平清盛一族 法華経(平安納経)を奉納 北広島町を寄進
1168年 伊都岐島社神主佐伯景弘が造営。本宮(内宮)厳島37宇、外宮地御前神社は19宇
の神殿舎屋のあった。現在見られるような海上神殿が完成した
地御前(ジゴゼン)と呼ばれるのは、「地かたに在るを以て、地御前と称す」
平安末期に廿日市地御前には神宮寺・法華三味堂・鳥居など19棟の建物があった。
社殿は、本殿2宇と拝殿1宇 と結ばれる形でつながっている。
当時、国府から厳島へ渡ることが難しく、陸沿いに地御前神社まで来て海中にある地御前神社の鳥居から参拝していたという。江戸時代の様子を描いた「厳島図会」には、海の中に鳥居が描かれている。
1174年 後白河法皇・建春門院・平清盛とともに参拝
1176年 千憎供養 社殿・回廊で盛大に催し、舞楽が演じられた 1177年鳥居の額を九条兼実
1180年 平清盛・高倉上皇・建礼門院一族参拝 9月大地震あり
1185年 壇ノ浦の合戦 平家滅亡
1187年 佐伯景弘 源頼朝の命を受け、宝剣を長門海沖で探索