歴史ロマンの厳島神社(宮島) 西暦1207年〜江戸時代の終わりまで 

1207年 厳島社炎上 1215年 再建

1221年 関東御家人の周防前司 藤原親実が創建以来の神主を佐伯氏から厳島神主となる

 1235年 火災の再建のため神主藤原親実が安芸国の守護になり、廿日市桜尾拠点に安芸国屈指の勢力になっていた

 1287年 一遍(イッペン)上人絵伝に絵画としてはじめて初見

 1325年 大鳥居大風にて転倒

 1336年 足利尊氏が造営料

 1366年 博多商人が釣り灯篭

 1371年 大鳥居再建 木材を廿日市市宮内・広島市佐伯区利松などから運ぶ

 1407年 五重塔建立

 堺の商人 絵馬の三十六歌仙之図

 平安末期、島内には巫女のみ住んでいた。祭祀に仕える人は対岸の地御前周辺に住んでいたが1300年ごろから島内に居を移すようになり、海上交通の港湾都市たなった

 1508年 京都で病死したので藤原神主家断絶.対立・抗争あと大内氏が直接支配

祭祀は大内氏 法会は大聖院・大願寺となる

 1539年 大願寺の尊海が一切経を求めて朝鮮半島に渡る。

 1555年 厳島合戦では毛利軍は廿日市地御前の火立岩周辺から包ヶ浦に上陸し、大勝利した。毛利氏の御師棚守(タナモリ)が社家総奉行となった。

 天神社の建立・大鳥居再建・大湯屋の再興などが行われた。

 さらに島中掟を定め,社殿周辺への家屋の新築禁止・火災発生時の処置・山林の樹木伐採禁止・一向宗の禁教など規制された。

 1600年 関ヶ原の合戦後広島は毛利より福島正則に代わった。福島は平家納経の修復・祭礼の執行など行なったが、社領はすべて没収し、新たに祭料として扶持米1350石を支給し、寺社の造営料を別途支給

 1619年 広島藩主浅野長晟にかわり祭料・扶持米など1090石とした。こうして平安末期以来の厳島の領主権は喪失した。厳島は社家を棚守・座主を大聖院・寺の運営は大願寺の三者が運営した。

 1635年宮島奉行所が置かれ、山林は藩所有・町方支配が行われるようになった。

 厳島図屏風には桃花祭・管弦祭・菊花祭などが描かれている。祭礼を現在も継承している桃花祭・管弦祭・菊花祭は高舞台や能舞台での舞楽や能楽が演じられている。特に雅楽が演奏される御座船が対岸の地御前神社まで渡御する船管弦を管弦祭にて行う。宮島や陸奥松島・丹後天橋立の日本三景。名所案内の厳島道芝記・風景の厳島八景や弥山めぐりなどで広く知れ渡たった。土産物としては杓子や色楊枝・海産物はアナゴやアワビなどが販売された。特に杓子つくりは18世紀末に神泉寺の誓海が町民に教えた。

第二次長州戦争では、幕府海軍の大島攻撃の拠点となり、大願寺で休戦協定が行われた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA